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1.鎌倉幕府の成立としくみ
①鎌倉幕府の成立
1185年、( 1 )が全国に( 2 )を、荘園・公領ごとに( 3 )を設置し、鎌倉幕府が成立した。さらに1192年、(1)は朝廷から( 4 )に任命された。
②鎌倉幕府のしくみ
・中央(鎌倉)には、( 5 )・( 7 )・( 8 )が置かれた。
・( 5 )は、将軍と主従関係を結んだ( 6 )の統率や、軍事・警察を担当した。
・( 7 )は、幕府の財政や、一般の政務を担当した。
・( 8 )は、裁判・訴訟を担当した。
1の答え(タップで開きます)
1 源頼朝
2 守護
3 地頭
4 征夷大将軍
5 侍所
6 御家人
7 政所
8 問注所
2.将軍と御家人の関係
将軍と御家人の関係は、「( 9 )と( 10 )」で成り立っていた。
(9)とは、将軍から御家人に対して与えられるもので、御家人の功績に応じて新たな土地が与えられた。
(10)は、御家人から将軍に対して行われるもので、普段は幕府や京都の御所の警備を行い、戦いがあるときには「いざ鎌倉」を合い言葉に、将軍のために戦った。
2の答え(タップで開きます)
9 御恩
10 奉公
3.( 11 )氏の台頭
・鎌倉時代の政治の展開
源頼朝の死後、政治の実権をにぎったのは、有力御家人の( 11 )氏であった。(11)氏は、将軍の補佐役の( 12 )として、政治の実権をにぎった。このような政治を(12)政治という。
1221年、( 13 )が政治の実権を幕府から朝廷に取りもどそうとして、兵をあげた。こうして始まった朝廷と幕府との戦いを、( 14 )という。幕府側は源頼朝の妻( 15 )のよびかけによって御家人が団結して戦ったこともあり、結果は幕府の勝利に終わった。
(14)の後、幕府の支配は日本全国に広まった。また、幕府は京都に( 16 )を置き、朝廷を監視するようになった。
1232年には、3代執権( 17 )が、公平な裁判の基準となる武士のための法律として、( 18 )を制定した。(18)は、武家社会の慣習や先例などにもとづいて制定された。
3の答え(タップで開きます)
11 北条氏
12 執権
13 後鳥羽上皇
14 承久の乱
15 北条政子
16 六波羅探題
17 北条泰時
18 御成敗式目(貞永式目)
4.鎌倉時代の産業
農業では、牛馬(牛や馬)の利用や、鉄製農具を用いた農耕が広まり、草や木を焼いた灰を肥料として使うようになった。さらに、近畿地方を中心に、同じ農地で1年に2種類の作物を収穫する( 19 )も行われるようになった。
商業では、寺社の門前や交通の要所など人が多く集まる場所で、( 20 )が開かれるようになった。
4の答え(タップで開きます)
19 二毛作
20 定期市(市)
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