ざっくり歴史

明治時代①(ざっくり穴うめ)

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空らんを正しくうめましょう。答えは1つ1つの見出しのすぐ下にあります。


1.近代国家の確立

明治新政府が成立したものの、反対する旧幕府軍との間で戦いが起こった。これを( 1 )という。この戦いは新政府軍が勝利し国内の統一を達成した。
(1)の最中も、新政府は新しい政治体制を整えていった。日本が新しい政治制度を整備し、近代国家を建設するための一連の改革や社会の変化を( 2 )という。

1868年3月、明治天皇が神に誓う形式で( 3 )が出され、新政府の基本方針が示された。

・中央集権国家の建設
中央集権国家を建設するために、まず1869年に( 4 )が実施された。(4)は、江戸時代と変わらずに支配を続けていたすべての藩主(旧大名)が、土地と人民を朝廷に返上するというものであった。
さらに1871年に( 5 )が実施され、全国の藩が廃止され、かわりに府や県が設置された。こうして、中央集権的な統治体制が整えられた。

・富国強兵
明治政府は、欧米列強に対抗するために、豊かで強い国をつくる政策を進めていった。教育面で1872年に( 6 )を発布し、6歳以上のすべての男女に教育を受けさせることとした。

次に兵制では、1873年に( 7 )を出し、20歳になった男子に兵役の義務を負わせた。

税制においては、1873年から( 8 )が実施された。江戸時代の年貢では収穫高を基準に課税していたが、( 9 )を基準とすることに変更した。( 10 )の税率は(9)( 11 )とし、( 12 )を交付された土地の所有者が現金で納めることとした。

1の答え(タップで開きます)

1 戊辰戦争
明治維新
五箇条の御誓文
版籍奉還
廃藩置県
学制
徴兵令
地租改正
地価
10 地租
11 
12 地券

 


2.近代化と発展

政府の主導によって積極的に欧米の文化が取り入れられ、都市を中心に伝統的な生活様式が西洋化していった。これを( 13 )という。人力車馬車ガス灯洋服などの新しい文化・習慣が広まったほか、鉄道が開通し産業が発展した。

・新しい思想
( 14 )「学問のすゝめ」を書き、人間の平等や民主主義を紹介した。( 15 )はフランスの思想家ルソーの民主主義思想を紹介し、のちの自由民権運動に影響を与えた。

・殖産興業
産業の発展も政府主導で進められた。官営模範工場(官営工場)として、群馬県に( 16 )が建てられた。 

2の答え(タップで開きます)

13 文明開化
14 福沢諭吉
15 中江兆民
16 富岡製糸場

 


3.近代的な国際関係

江戸幕府が結んだ不平等条約を改正するために、1871年からの約2年間、( 17 )を団長とする使節団が派遣された。この使節団には、大久保利通木戸孝允ら政府の有力者も参加する大規模なものであった。条約改正交渉は失敗したが、欧米の進んだ産業・経済・政治状況の視察を通して、日本の国力充実の必要性を痛感して帰国した。

・中国との関係
1871年、日本は中国(清)と( 18 )という対等な条約を結び、国交を開いた。

・朝鮮との関係
岩倉使節団が海外を視察している間、政府内では、鎖国を続けていた朝鮮に対して武力で開国をせまる( 19 )が台頭していた。しかし使節団が帰国すると大久保利通らがこれに反対をとなえ、1873年(19)は否定された。この結果、(19)を主張していた( 20 )( 21 )らは政府を去った。
その後、1875年の( 22 )で日本と朝鮮が交戦し、1876年に朝鮮にとって不平等な( 23 )という条約を結び、日本は朝鮮を開国させた。

・北海道の開拓
それまで蝦夷地と呼ばれていた北海道には開拓使が設置され、屯田兵が開拓にあたった。この影響により、先住民の( 24 )民族は土地や漁場をうばわれることとなった。

・沖縄
1872年、明治政府は琉球王国を琉球藩とし、さらに1879年には琉球藩を廃止し、( 25 )の設置を断行した。この一連の政策を琉球処分という。

3の答え(タップで開きます)

17 岩倉具視
18 日清修好条規
19 征韓論
20 西郷隆盛
21 板垣退助

※20・21は順不同
22 江華島事件
23 日朝修好条規
24 アイヌ民族
25 沖縄県

 


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