ざっくり歴史

鎌倉時代②(ざっくり穴うめ)

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空らんを正しくうめましょう。答えは1つ1つの見出しのすぐ下にあります。


1.鎌倉文化

・建築では、( 1 )が有名。この門の左右には、2体の( 2 )が安置されている。
・和歌集では、藤原定家らによって( 3 )」が編集された。
・軍記物では、源平の争乱や、平氏の繁栄・没落をえがいた( 4 )」があり、琵琶法師によって各地で語り伝えられた。
・随筆では、鎌倉時代の初めに( 5 )が書いた( 6 )」、鎌倉時代の後期に( 7 )が書いた( 8 )」があった。

1の答え(タップで開きます)

東大寺南大門
金剛力士像
新古今和歌集
平家物語
鴨長明
方丈記
兼好法師(吉田兼好)
徒然草

 


2.鎌倉時代の新しい仏教

鎌倉時代には、新しい仏教も広まった。
( 9 )は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救われることを説き、( 10 )を開いた。
(9)の弟子でもあった親鸞は、悪人こそ救われると説き、( 11 )を開いた。
一遍は、集団で踊りながら念仏を唱える踊念仏によって布教を展開し、( 12 )を開いた。
日蓮は法華経の題目「南無妙法蓮華経」を唱えることを説き、日蓮宗を開いた。
・座禅によって自分で悟りを開こうとする宗派を( 13 )という。(13)には、栄西の伝えた臨済宗と、道元による曹洞宗があった。

2の答え(タップで開きます)

法然
10 浄土宗
11 浄土真宗(一向宗)
12 時宗
13 禅宗

 


3.蒙古襲来

チンギス・ハンの孫の1人であった( 14 )は、国号を( 15 )とし、日本に対して服属を求めてきた。鎌倉幕府の8代執権( 16 )が服属要求を拒否すると、(15)は大軍を率いて2度にわたって日本をおそった。これを蒙古襲来、または( 17 )という。

1274年の1度目の戦いでは、一騎打ちで戦う日本の御家人は、元の( 18 )火薬を用いた武器に苦戦した。しかし、元軍は暴風雨によって元軍は引き上げた。

その後も、鎌倉幕府は元による服属要求も無視し続けた。こうして、1281年に2度目の戦いが始まった。このときは、事前に幕府が海岸に築かせていた石塁(防塁)の効果もあり、元軍は上陸することができず、またも暴風雨が発生し、元軍は大きな被害を受け、引き上げた。

 

3の答え(タップで開きます)

14 フビライ・ハン
15 
16 北条時宗
17 元寇
18 集団戦法

 


4.鎌倉幕府の衰退と滅亡

鎌倉時代の後半、御家人の生活は苦しくなっていった。その理由は、分割相続により御家人の領地が小さくなっていったことと、元寇での戦いに対する恩賞が不十分であったことが挙げられる。そのため、御家人は幕府に対して不満をもつようになった。
幕府は、御家人を助けるために、1297年に借金の帳消しなどをおもな内容とする( 19 )を出した。しかし、かえって経済が混乱し、幕府に対する御家人の不満はますます高まる結果となってしまった。

また、幕府に従わない( 20 )とよばれる新興の武士なども出現するようになった。
このような状況のなか、( 21 )が政治の実権を朝廷に取りもどそうとして、幕府をたおす計画を立てた。これに有力御家人の( 22 )らも協力し、鎌倉幕府は1333年にほろんだ。

4の答え(タップで開きます)

19 徳政令(永仁の徳政令)
20 悪党
21 後醍醐天皇
22 足利尊氏

 


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