昭和時代は1926~1989年(昭和64年)です。そのうち、1945(昭和20)年までが戦前、それ以降が戦後です。今回は昭和20年までの戦前(終戦まで)を見ていきます。
ざっくり言うと、日本をふくむ世界の景気がとても悪くなり、日本国内では戦時体制が強化され、中国・アメリカなどとの対立が深まり、戦争が起こって日本が敗戦した、という流れになります。
1.深刻な不況
①世界恐慌
1929年10月、アメリカのニューヨーク市場で株価が暴落し、深刻な不況が世界へ広がりました。これを世界恐慌といいます。
深刻な不景気への対策として、 アメリカはニューディール政策をとりました。これは、政府が大規模な公共事業を積極的におこし、失業者に職を与えるという政策です。
一方、植民地を多くもつイギリス・フランスは、ブロック経済を実施しました。これは本国(イギリスやフランス)と植民地との間の貿易を拡大して経済圏をつくり、外国に対しては高い関税をかけてブロックする、というものです。
なお、社会主義国のソ連は計画経済を実施していたので、世界恐慌の影響を受けませんでした。
②日本の不況
日本も世界恐慌の影響を受け、特に1930年代に入ると深刻な不況におちいりました。これを昭和恐慌といいます。
③ファシズム
植民地をほとんどもたないイタリアやドイツでは、ファシズムとよばれる全体主義が広がりました。
イタリアではファシスト党を率いたムッソリーニが実権をにぎりました。
ドイツではナチスを率いたヒトラーが実権をにぎりました。
2.軍部の台頭
①満州事変
現在の中国の東北部は、満州とよばれていました。この地にいた日本の軍隊が関東軍です。関東軍は1931年、南満州鉄道の爆破事件を起こし、軍事行動を開始しました。これを満洲事変と言います。さらに関東軍は満州を中国から切りはなして、満州国の建国を宣言しました。
②軍部の発言力の高まり
日本は当初、満州国の承認に消極的でした。そんななか、犬養毅首相が海軍の青年将校によって暗殺されてしまいました。1932年に起こったこの事件を五・一五事件といいます。これにより、1924年から続いていた政党内閣の時代も終わり、軍部が発言力を強めていきます。
また、1933年には、日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立を深めていくことになりました。
1936年、今度は陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃する二・二六事件が起こりました。この結果、軍部の政治的な発言力が拡大することになりました。
3.戦時体制の強化と戦争
①日中戦争
1937年、日本と中国の間で戦争が始まりました。この日中戦争は1945年、日本の敗戦まで続きます。
②日本の戦時体制の強化
1938年に国家総動員法の制定、1940年に大政翼賛会の結成など、日本国民が戦争に協力させられる体制が強化されていきました。
食料不足に備えて、米の配給制もこのころ開始されました。
4.第二次世界大戦
①開戦
1939年、ドイツがポーランドに侵攻したことを受けて、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告しました。こうして、第二次世界大戦が始まりました。
②大戦の2陣営
第二次世界大戦は、枢軸国と連合国の陣営間での戦争でした。枢軸国は日本、ドイツ、イタリアなど。連合国はアメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連などでした。
③日本と世界の動き
1940年、日本は日独伊三国同盟によりドイツ・イタリアと軍事同盟を結びました。また、すべての政党が解散して大政翼賛会が結成されました。
1941年、日本は4月にソ連との間で日ソ中立条約に調印しました。
また、日本はこのころになると大東亜共栄圏を提唱し、アジアから欧米の勢力を追い出し、アジアの民族だけで栄えていくことを主張しました。
1941年12月、日本がハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとの戦争が始まりました。この戦争を太平洋戦争といいます。このときの日本の首相は東条英機でした。
④戦時下の国民生活
戦時下における国民は戦争に協力させられました。文科系の学生も戦争に動員される学徒出陣、中学生や未婚の女性などが軍需工場で働かされる勤労動員などが実施されました。
空襲がはげしくなってくると、都市部の小学生などは農村へ疎開(集団疎開、学童疎開)することになりました。
⑤戦況の悪化
当初は日本の有利に戦局が進んでいましたが、1942年のミッドウェー海戦でアメリカに敗北したことで、戦況は悪化に転じました。
⑥第二次世界大戦の終結と日本の敗戦
数年におよんだ第二次世界大戦は、先にヨーロッパで終結しました。1943年にイタリアが降伏し、1945年5月にはドイツが降伏しました。
これにより、日本だけが世界の国々と戦争をする状態となりました。
1945年3月、沖縄にアメリカ軍が上陸し、沖縄戦ともよばれる地上戦へ突入しました。7月には、アメリカなどの連合軍が日本に降伏を求めるポツダム宣言を発表しましたが、日本は当初これを無視しました。
すると、アメリカは原子爆弾(原爆)を8月6日に広島、9日に長崎に投下しました。
さらに8月8日には、ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦しました。
このような状況のなか、日本はついにポツダム宣言を受け入れ無条件降伏することを決定し、8月15日、昭和天皇がラジオ放送(玉音放送)を通して、国民に終戦を知らせました。
こうして、多くの犠牲者を出した第二次世界大戦はようやく終わったのです。
漢字の読み方(タップで開きます)
1.深刻な不況
・世界恐慌:せかいきょうこう
2.軍部の台頭
・満州事変:まんしゅうじへん
・五・一五事件:ごいちごじけん
・二・二六事件:ににろくじけん
・犬養毅:いぬかいつよし
3.戦時体制の強化と戦争
・国家総動員法:こっかそうどういんほう
・大政翼賛会:たいせいよくさんかい
4.第二次世界大戦
・枢軸国:すうじくこく
・大東亜共栄圏:だいとうあきょうえいけん
・真珠湾:しんじゅわん
・東条英機:とうじょうひでき
・学徒出陣:がくとしゅつじん
・勤労動員:きんろうどういん
・疎開:そかい
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