しっかり歴史

天保の改革、雄藩の成長

ポイント解説

1841年から、水野忠邦により天保の改革が進められました。この改革は、わずか2年で失敗に終わりました。幕府の権威がゆらいでいることがうかがえます。一方で薩摩藩や長州藩など改革に成功した諸藩は、その後、雄藩として台頭し、幕末の政治に大きな影響を与える存在に成長していきます。

1.天保の改革

老中水野忠邦による改革
・期間:1841~1843年

①おもな政策

ⅰ.倹約令
・ぜいたくを禁止

ⅱ.株仲間の解散
・物価の上昇をおさえるため

ⅲ.農村の復興政策
・江戸に出かせぎに来ていた農民を農村に帰らせる

ⅳ.出版の統制

ⅴ.上知令
・江戸・大阪周辺の農村を幕府の直接支配地(幕領天領)にする命令
→大名や旗本の反対で中止

②結果

・改革は2年余りで失敗
水野忠邦は老中を辞任

2.雄藩

・藩政改革に成功し、政治的発言力をもつようになった藩
・幕末の政治を動かす存在に成長していく

薩摩(鹿児島県)

黒砂糖の専売制密貿易で経済力をたくわえる
反射炉を建設して大砲を製造

長州(山口県)

・下関などの港で他藩の船に対する金融業を実施

肥前(佐賀県・長崎県)

反射炉を建設して大砲を製造


漢字の読み方(タップで開きます)

・水野忠邦:みずのただくに
・上知令:じょうちれい、あげちれい
・雄藩:ゆうはん
・反射炉:はんしゃろ

 


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