必修歴史

人物歴史①弥生時代・古墳時代・飛鳥時代(必修解説)

人物一覧

1.弥生時代
卑弥呼

2.古墳時代
武(倭王武)

3.飛鳥時代
推古天皇
聖徳太子
小野妹子
蘇我馬子
・蘇我蝦夷
蘇我入鹿
中大兄皇子(天智天皇)
中臣鎌足(藤原鎌足)
天武天皇

1.弥生時代

個人名で最初に登場するのは、弥生時代の卑弥呼です。邪馬台国の女王で、中国のに使いを送った人物ですね。

2.古墳時代

古墳時代の人物としては、倭の五王の1人、武(倭王武)がいます。埼玉県・熊本県の古墳からそれぞれ出土した鉄剣・鉄刀に「ワカタケル大王」として刻まれていた人物でもあます。は5世紀の後半に、中国の南宋に使いを送りました。

3.飛鳥時代

飛鳥時代以降から、登場する人物が増えてきます。

592年、女性として初めて即位したのが推古天皇です。推古天皇の摂政となったのが、その甥(おい)聖徳太子ですね。聖徳太子冠位十二階の制度憲法十七条などを定め、外交では小野妹子を遣隋使として中国のに派遣しました。また、文化(飛鳥文化)においては、現存する最古の木造建築である法隆寺を奈良県に建立しました。

聖徳太子と協力して政治を担当したのが、蘇我馬子です。協力とはいっても、実際には、蘇我氏をおさえるために聖徳太子が摂政として政治の実権をにぎったという感じです。

聖徳太子は622年に亡くなりました。その後、蘇我氏はますます強い権力をにぎるようになりました。

蘇我馬子の子が蘇我蝦夷、蝦夷の子が蘇我入鹿ですが、蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子は645年に、中大兄皇子中臣鎌足によってほろぼされ、蘇我氏は滅亡しました。こうして、大化の改新という改革政治が始まりました。

その後、中大兄皇子は即位して天智天皇となりました。天智天皇がなくなると、天皇の弟と子との間で、あとつぎをめぐる争いがおこりました。これが壬申の乱です。

なお、中臣鎌足天智天皇から藤原姓を与えられました。これにより中臣鎌足藤原鎌足となり、平安時代に全盛をほこるあの藤原氏の最初となりました。

壬申の乱に勝利した弟が、天武天皇として即位しました。実力で皇位を勝ち取った天武天皇は、天皇を中心とする中央集権国家、律令国家の建設のために、さまざまな改革を協力におし進めていきました。


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