1.弥生時代の日本
弥生時代になると、貧富の差や身分差が見られるようになりました。そして、争いをくり返すなかで、小さな国々が成立していき、人々を支配する豪族や王が登場しました。
2.中国の歴史書と日本
中国の歴史書によって、当時の日本のようすを知ることができます。当時の中国では、日本のことを倭とよんでいました。
①奴国(なこく・なのくに)
紀元前1世紀ごろの倭(日本)には100余りの国があったことや、1世紀半ばの西暦57年に、九州北部の奴国の王が、漢(後漢)とよばれた中国の王朝に使いを送ったこともわかっています。このとき使いを送った奴国の王は、漢(後漢)の皇帝から「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)と刻まれた金印を与えられました。
②邪馬台国(やまたいこく)
弥生時代の後半の3世紀には、30あまりの小さな国を従えた邪馬台国という国があり、その女王卑弥呼(ひみこ)は、中国の魏(ぎ)に使いを送りました。卑弥呼は、魏の皇帝から親魏倭王の称号と金印、銅鏡100枚などを与えられました。
必修歴史にもどる