必修歴史

弥生時代①(必修解説)

ポイント解説

紀元前4世紀ごろになると、大陸や朝鮮半島から九州北部に稲作が伝わり、東日本にまで広まりました。こうして、各地に水田がつくられるようになり、日本は弥生時代を迎えました。

1.稲作の伝来

稲作の伝来により、人々の暮らしも変化しました。石包丁を用いて稲を収穫し、高床倉庫に保存しました。

使われる土器も、縄文土器から弥生土器に変化しました。縄文土器に比べて高温で焼かれ、うすくてかたく、赤っぽい色をしているのが特徴です。また、貯蔵用煮たき用など、用途に応じてさまざまな形のものがあります。

人々はたて穴住居に住んでいました。これは縄文時代と変わらない点です。

2.金属器の伝来

弥生時代には、金属器も伝来しました。金属器には、青銅器鉄器の2つがあります。

青銅器はおもに祭りの道具として使用され銅鐸などがあります。

鉄器農具武器など、実用的な用途に使われました。

3.おもな遺跡

弥生時代の代表的な遺跡には、佐賀県の吉野ヶ里遺跡や、静岡県の登呂遺跡があります。

吉野ヶ里遺跡には、周囲に柵(さく)や濠(ほり)がめぐらされていたことがわかっています。当時、このような集落がつくられた目的は、敵から村を守るためと考えられます。

つまり、弥生時代には、争いも起こるようになったということがわかります。

弥生時代は、紀元前4世紀ごろから紀元3世紀ごろまで続きました。


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