ざっくり歴史

平安時代②(ざっくり解説)

平安時代の続きです。

1.国風文化

平安時代に栄えた文化に、国風文化があります。

国風文化は、それまでの唐風の文化をふまえたうえで、日本の風土や生活に合わせて生み出された文化です。遣唐使の廃止後、特に摂関政治の時代に最も栄えました。

①文学

漢字をもとにして成立した文字が、仮名文字(かな文字)です。この仮名文字の登場によって、多くの文学作品がつくられるようになりました。

例えば、
小説では紫式部の「源氏物語」、
随筆では清少納言の「枕草子」、
日記では紀貫之の「土佐日記
などが有名です。

和歌集も編集されました。紀貫之らが編集した「古今和歌集」があります。

②生活・信仰・建築

平安時代の貴族は、寝殿造とよばれる建築様式の住居で暮らすことが一般的でした。

また、貴族や一般の人々の間では、浄土信仰が広まりました。これは、念仏を唱えて阿弥陀如来にすがることで、死後に極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰です。

この浄土信仰をもとに建てられたのが、宇治(京都府)の平等院鳳凰堂です。藤原頼通によって建立されました。現在も有名な観光地ですね。

2.院政

次に、政治の動きです。11世紀後半になると、藤原氏の勢力がおとろえていき、政治の実権も藤原氏から離れていきました。このようななかで始まったのが院政です。

院政とは、上皇による政治です。上皇とは、天皇が位をゆずった後の呼び方です。

院政の始まりは1086年。白河天皇が天皇の位をゆずり、白河上皇となった後も、政治の実権をにぎり続けたのが最初です。

3.武士の政権

①武士の台頭

12世紀なかば、朝廷の内部で争いが生じました。これが戦乱に発展したのが、1156年の保元の乱と、1159年の平治の乱の2つの争いです。2つとも、源氏や平氏などの武士の力で解決されました。

この両方に勝利したのが平清盛で、これ以降、政治の実権をにぎるようになりました。

②平氏政権

政治の実権をにぎった平清盛は、1167年に武士として初めて太政大臣になりました。

平清盛は、かつての藤原氏と同じように、自分の娘を天皇のきさきとし、生まれた子を天皇にし、勢力をのばしました。

経済面では、平清盛大輪田泊(現在の神戸港)を整備し、(中国)との貿易を積極的にすすめ、多くの利益を得ました。この貿易を日宋貿易といいます。

4.源平の争乱

勢力をのばして政治をほしいままに動かすようになった平氏に対して、貴族だけでなく武士からも不満が高まりました。

そのようななかで、平氏のライバルであった源氏(源頼朝など)がついに兵をあげ、平氏と戦いました。

結局、1185年に壇ノ浦の戦いを最後に平氏はほろぼされました。この源平の争乱では、源頼朝の弟の源義経らが活躍しました。


漢字の読み方(タップで開きます)

1.国風文化
国風文化:こくふうぶんか
紫式部:むらさきしきぶ
源氏物語:げんじものがたり
・随筆:ずいひつ
清少納言:せいしょうなごん
枕草子:まくらのそうし
紀貫之:きのつらゆき
・土佐日記:とさにっき
古今和歌集:こきんわかしゅう
寝殿造:しんでんづくり
・浄土信仰:じょうどしんこう
平等院鳳凰堂:びょうどういんほうおうどう

2.院政
院政:いんせい
上皇:じょうこう
白河天皇:しらかわてんのう

3.武士の政権
・保元の乱:ほうげんのらん
・平治の乱:へいじのらん
平清盛:たいらのきよもり
太政大臣:だいじょうだいじん
日宋貿易:にっそうぼうえき
・大輪田泊:おおわだのとまり
・宋:そう

4.源平の争乱
壇ノ浦の戦い:だんのうらのたたかい
源義経:みなもとのよしつね

 


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